ごきげんよう
変化の多い時代を生きる貴女の未来創造アドバイザーの鎌田です。
人の命が他人の手で奪われるニュースが流れるのを見るたびに、とても心が痛くなります。
不可抗力なものもあれば、学び方や価値観の差のものもあります。
自分の生まれ育った環境や学び方の価値観が、その人の思考の基本であり、全てになってしまうのですが、ここでも何が正義で何が悪なのか、それすら基準はあいまいなのだと感じます。
先週、20社の企業関係者の前でメンタルヘルスの講習会で登壇しました。
そこでも、人の基準はあいまいであり、自分が信じるものに疑いを持つこと、相手と自分の違いがあること、違いがあって当たり前。自分の常識は相手にとって非常識なのだということを伝えました。
人は、自分の身や人格など多くのものを守る術を、どのように学び、経験し、体得されたかによって、その価値観や考え方など捉え方は大きく様変わりします。
もちろん、個人の思想や経験を否定することはしてはいけないけれど、許容されるものの基準は明確な方が良いものだともいえます。
その反面、どんな人が、優秀であれ、そうでないにしろ、人間の基準は不確かであいまいなものが故に、正義の名のもとに人が人を裁くことの難しさと矛盾があることは否めません。
ただ、確信があることは、
力でねじ伏せれば、力が衰えた時に力で制される
恐怖でねじ伏せれば、恐怖の力が弱くなった時に、恐怖で制される
知識でねじ伏せれば、新しい知識で制されるものであり、
体力、知力、財力、組織力などの弱いところから、打破されていくものだと言う事です。
だからこそ、「守る」と言うことの本質は、
「時代の流れを先読みし、正確に受入れ、損失を最小限に抑え、素早く判断し、迅速に動き続ける」ことなのだと考えています。
新しいものを取り入れれば、必ず今までとは違ったものが育つ。
これからの時代、次から次に新しい情報が早く入ってくる中で、先読みと処理能力と判断力など、今までとは格段に早く処理し、対応する能力が必要なのではないでしょうか?
そんな中ででも、皆さんは、時を過ごし、日々の成長をし続けています。
それなのに、心のどこかで過去の経験にとらわれ、時が止まったままになっていらっしゃる方はいませんか?
自分の過去の経験は、思い出すたびに自分を痛めつけるものではないと言うこと。
大切なことは、事実を歪めること無く受入れて、自分のものにすることで、気が付かないうちに自分を守っていることになるのかなと考えています。
私はこう考えましたが、
皆さんのお考えはいかがですか?
賛否両論あるかと思いますが、
自分の考えが正論だと論破し、否定し、ねじ伏せようとされますか?
または、事例を一つ一つあげて、自分の正論性を受け入れるように感情的になりますか?
私は、多くの要因を想定し、相手の思考を知った上で
「そういった考え方もある」と思うことこそが、
自分と相手の違いを受入れることができ、
客観的な視野で、これからの時代を変えていく方
なのだと考えています。
・・・とは言うものの、こんなことを書いている私だって、感情が先に立つ機会だって多くあるのですから、あくまでも「理想論」だと考えている自分だっています。
でも、人間ですから、そんな矛盾した自分がいてもいいんですよ。