私は、会社=法人=企業は、給料をもらいながら、今までの学びを形にして、そこから更に学ぶ機会を得られる学校だと常々考えている。
なぜなら、幼稚園や保育園から高校・大学まで学んできたことは、社会に出た時の最低限必要なスキル。
そして、その最低限のスキルは、学校に行っている間、社会に出た時の実践経験とほとんどリンクすることもなく暗記しているにすぎない。
教科で、文字や言葉、計算、社会の知識や道徳など教えてもらい、習得することはもちろんだけど、本当に学ばなければいけないものは、その教科を道具として、自分の心の声を言葉にして、集団内で意見の違う人たちの話を受け入れ咀嚼し、更に相手に自分の気持ちを伝え、情報を共有するというものではないかと考えている。
・・・はずなのに、今ではテストでいい点を取るためだけに一生懸命学び、親や先生でさえ、点数を評価基準に置き、本来の目的を大きくはずれてしまっている。
大人は、学ぶ楽しさや必要な理由を忘れてしまい、良い点数を取るだけの技術やテクニックを教えるだけになっている。
子供が親の背中を見て育つ習慣がなくなっているこのご時世。
何のために、学校に行くのか、勉強するのか、給食を食べるのか、休みがあるのか、健康診断があるのか、テストがあるのか、その論点をもう一度、意識する必要があるのではないだろうか
会社は、働く誰もが楽しく快適な人生を送るために、その道具として存在する。そして、個人が学んできたスキルを、惜しみなく活かし、応用し、実践する事で繁栄していくというところは比例していくと考える。
知ったから、わかったから、できるようになるとは違う。
そういった意味で、会社は実践経験を積み、学んできたことをリンクさせるためのトレーニング会場になる。
ちなみに、
知る、わかる、出来る、までは作業=職人でしかない。
教える、育てる、管理するという事が出来てやっと一人前。
教える事ができるようになったところから、やっと仕事ができるようになったと私はいうツイッターのアカウントは@kamatachiho