ごきげんよう。
変化の多い時代を生きるあなたの未来創造アドバイザーの鎌田です
今日は晴天。
本来なら、すがすがしい青が見えるはずなのに、光化学スモッグのおかげで、遠くはかすんでいます。
かすんでいる空を見る度に、福岡を拠点とする写真家さんとお逢いした際の、
「ここ数年の間の空気の汚れのおかげで、二見ヶ浦の水平線に沈む夕日が全く取れなくなった」と、以前の写真と現在の写真を見比べて見せてくださり、嘆いていらっしゃるのを思い出します。
その反面、二見ヶ浦にの水平線に沈む夕日はたとえ撮れなくなったとしても、ビルの谷間や山の向こうに輝く、神秘的で大きな褐色がかかった月を見せてくださりながら、こういった月は今まで取れなかったと喜んでいらっしゃる姿もありました。
そんなことをふっと思い出しながら、大人の役割や役目の本質、
そして私が今何をできるか、そしてどんな事をやることがBetterであって、Bestなのかを振り返っています。
そこで、写真家の方との会話を思い出しながら、
人は「失いながら、得られるものを探す生き物」という事実を直視しています。
それは、変化に順応しながら、事実を事実として受入れ、自分の中の基本姿勢はそのままで、大きな無理をすることなく、思考や視点の切り替えとともに、新しいものを取り入れるとと同時に自分の何かしらの成長を手に入れること。
ですが、もしそこに、完璧なマニュアルや強い感情が存在したらどうでしょうか?
完璧なマニュアルだったら、きっと、枠にはめ込み、新しいアイデアや自由な発想の芽を摘み取ることが役割と感じてしまうかもしれない。
強い感情だったら、きっと、新しいアイデアや自由な発想の芽さえでない可能性が高くなる。
そう考える反面、完璧なマニュアルだったら、そこを起点とした時の変化を組み込むことで、強固な地盤が出来上がり、色んな事例にも対応できる可能性もある。
強い感情だったら、伝統や事業継承をしていくので、変化をしてはいけないものが末永く継続されていく事になるとも考えます。
よい事もあれば、良くないこともある。
失えば、新しいものが生まれる。
必要不可欠なのは、心の許容範囲の広さや許容量の限界突破。
だからこそ、大人の役割は、頼りない子どもたちや今から未来を作ろうとしている方の発想が、ばかげていると感じてしまい、その芽を早く摘み取ることが、その人や子どものためだと感じてしまうときがあったとしても、自由の芽が出たときには、時期をずらさず水をやり、その芽が大きく伸びていけるような土壌を準備することなんじゃないかなと感じています。
例え、それが新芽を摘み取る行為ではなくとも、大人の持つ経験や価値観という自己持論や正論で矯正したくなることもあるかもしれません。
ですが、きっちりはみ出すことなくマニュアル通りに育てられた人程こそ、育てた人の上の発想をする事は皆無に等しい。
万が一、皆さんから見て「はみ出す」事が勃発した場合、マニュアル通りに育てられた人は、動揺や混乱をし、現実を拒絶し、目標を見失いがちになってしまう傾向です。
人育てを請け負っている私としては、
マニュアル通りで、皆横並び一直線の育てられ方をしている子どもたちが多い中、
新しい発想やアイデアを持つ人は、その場から浮いてしまう事が多く、周囲から疎まれてしまう。そして、頭を出した時点で、いじめや仲間はずれが起こることは良くあるお話。
そして残念なことに、何かしら「常識や倫理観」の基準は微妙に変化しながらも、周囲から孤立させてしまうことは、大人の世界でも、そのまま延長しているという事実を目の当たりにしています。
だけれども、希望はあるのです。
なぜなら、
何度も繰り返す失敗や大きく食い違った考えを知りながら、自己修正をかけていく、順応性に優れているけれど、不確かな基準を持ち、自らが殻を破りながら成長するつ生き物だからです。
だからこそ、
背伸びをしながら、打ちのめされて、力強い人間に成長することで、その成熟した実は、見かけが悪い形かもしれないけれど、一度食べたら味わい深く忘れられないような、そんな人に育つ
んだろうなぁとも理解しています。
そして、その人とかかわった人達は、また違う形で種となり、違った土壌で育っていくんです。
人は教えられたようにしか育たないもの。
皆さんの周囲の人は、どうですか?
自分がアドバイスが欲しいのに、アドバイスをもらえない理由は、
自分がアドバイスをしている側だったり、自分の考えを正当化して、結果は相手の考えを否定するからかもしれない。
自分で考えてほしいのに、答えや意見を求めてくるのは、
自分の考えが相手に伝わっていないことと、いつも答えを教えているからかもしれない。
そうやって自分が、育てている感覚が無くても、実は周囲を育てているのは自分なのです。
どうか、自分自身の持つ観念や思考に、いま一度疑問を投げかえ、正論や常識とお考えに疑いをもたれますように。
では今日はここまで。
今週も皆さんに何かいいことがありますように。