ごきげんよう
変化の多い時代を生きるあなたの未来創造アドバイザーの鎌田です。
じわじわと寒さが深まりながら、秋から冬を感じられる時期を通り越して、いきなり極寒の状況がやってきている今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしですか?
日曜日は、久々に自分の時間ができたので、自宅でJAZZを聞きながら読書。
くつろぎタイムを満喫していました。
落ち着けたのは、高校三年生のお兄ちゃんは、自分が自分の意思で選択した結果、静岡の研究所が運営する学校に推薦合格決まり、久々に趣味に没頭。
下のお子ちゃまは、旦那の経営する観光農園で、誰に言われるまでもなく勝手に商いと経営の勉強。接客が一段落している時は勉強という時間管理も見事にクリア。お陰で毎回学年上位ランクに君臨。
そんな子供たちの成長を遠目に感じながら、
結婚した長女がいた頃は、観光農園で三人そろって風船パフォーマンスやアクセサリー販売などのちっちゃなイベントを企画し、遊びながら原価と利益計算をして、利益を分配する小遣い稼ぎをしていたことを思い出します。
今思えば、夫婦そろって、子供たちにそんな経営の話や原価計算、利益の分配など特に話した記憶もないし、学べと言う強制力もありませんでした。
たまたま、子どもたちが
こう言う事をしてみたいけれど、お母さんはどう思う?と聞いたから
「面白いよねぇぇ。いいんじゃない?」と言っただけだし、
実際にやってみたいと言ったから、「じゃあ、やってみなよ」と答えた。
その後のことはどうしたらいい?と聞いたから
「自分たちで納得するよう決めたらいいんじゃない?」
と自分たちの裁量で決めるようにしただけ。
確かに、大人の目から見ると、解りきった事だったかもしれないですよ。
また、なーんだそんなことと思う事もあるかもしれないことも多かったかも。
ですが、そんな大人の解りきった答えをすぐに教えることで
聴いたら教えてくれるという考えない癖
言われた事を鵜呑みにする癖
聞いたことを解ったつもりになる癖
をつけたくなかったんです。
また、私は幼少期の頃から、
「親や先生・警察官は神のように崇高な存在であるべき」
「貴女の為に言っていることだから、それを実践する事が貴女の幸せ」という観念が強い親の下で育ち、操り人形のように言う事を聞く子が良い子という常識などから、自分が考えたことを全面否定をされていることに嫌悪感を強く抱いて育っていたので、このことは子どもたちにしないと決めていました。
だからこそ、子どもたちが自分たちで一生懸命に考えた事に対して、肯定することと、実際にやってみる機会を阻害しないというスタイルが確立していたと感じます。
そんな中、大人の世界では、
私は「母親ではない」「悪い母親」だと言われることもしばしば(苦笑)
たまに、周囲の評価や評判に自分が流されそうになることもありましたぁ。
そこでも、流されなかった理由は、
「話をしている人の考えが正論+私の考えは全否定=存在価値を否定されている」という方程式が心の中で出来あがっているわけなので、その正論だと言われていることに異論を唱える習慣が勝り、周囲の評価はどうでも良くなってしまうわけです。
そんなこんなで、嫁に行った最近の長女がやっていることは、コスパ重視のレジンアクセサリー製作に没頭し、クオリティを追求していたり、お兄ちゃんと次女の会話は、消費税10%になるか、経済効果はどうなるか、内閣早期解散の目的はとか、私が辟易したくなる内容をぶつけてくる。でも、生き字引のような池上彰の情報番組は見ない。
家にいる時ぐらい、窮屈な話は無しだよねーと思いつつ、特にビジネスの話とかやってなかったと思うけれど、どうしてそう育ったのやらと、
人が持つ無限の可能性
自由な発想からくる思考の多様性
雑学の深さからわかった、探究心と集中力
にいつも驚かされてばかり。
世の中の多くの人が右向いて進んでいる状況で、うちの子どもたちは全員世の中の左を向いているような行動を起こします。
旦那や祖父母・親戚のように、強制力のある保守的な一般常識を押し付ける荒波も逆境も受けやすいけれど、私だけはじっくり話を聴きながら味方でいたいし、盾でいられるくらいの許容範囲を持ちたい。
弱い私の心が、いつも不動でいられるのは、
どんな困難にでも、打ち勝つ能力を養うことが教育の本質
だと確信があるからなのです。
そんなこんなで、一人のくつろぎタイムでは
いずれ何が良いか、そうでなかったかがわかるその時が来るまで、私が元気で意識がはっきりしているピンピンしたおばあちゃんで生きていられるといいなーと、1人で未来を空想した楽しいひと時を過ごしている時が一番の幸せな気がします。
では、今日も皆さんに何か良いことがありますように。
ごきげんようさようなら。