農業高校に行っている高校3年のお兄ちゃん
小中の成績は、学年の中でも下から数えるほどだった。
当時、落ち込むお兄ちゃんに、
「あんたは天才なの。数字だけでは、人間の可能性や持って生まれた才能は図れない。確かに学校の成績が悪くても、好きな事をしている時の集中力や知識は凄いものがあるんだから、高校を選ぶ時は自分の好きな学科があるものを選ぼうね!」
「出来ない人の気持ちがわかるんだから、できるようになったら、そのノウハウを人に教える事ができるんよ。」
「できる人間には、できない人の気持ちは理解できない。だからそこがあんたの強みよ」
「難しいと思っても、やってみるだけはやってみようよ。嫌じゃなければ続ければいい」
と、仕事の合間に時間を作って、一緒に遊び勉強しながら何かにつけて話していた。
そんなお兄ちゃんの才能が開花したのは、農業高校に入学してから
虫と魚と植物と自然の中で遊びまわる事が生きたのか、
成績はみるみる上位になり、多くのチャンスをゲットできるようになってきた。
そんなチャンスのうち、糸島はるかプロデュースがある。
発端は去年。
高校で、6次産業化プロジェクトの課題が出た
去年も県大会に行ったが賞は取れなかった。
でも、今年は、リベンジ。
県大会で発表したプロジェクトは2位と好成績。
個人の部も3位入賞
東京農業大学の推薦を出すから行けと先生にも言われている
小学校、中学校の時には考えられなかった出来事に本人が一番動揺気味。
動揺する理由は簡単。なんたって、本人にとっては「当たり前のことを当たり前のようにやった」だけだから。
私は普通高校に行って、大学に魅力を感じず、働く道を選んだ。
その時に身についたものは日本人として恥じない平等な教育。
後は、社会に出て、手さぐりで実践から学び、たたき上げてきた。
でも、もし、私の時代に、社会に出る前から、プロジェクトの機会があったのなら、もう少し見方も考え方も変わったんじゃないかなぁと思う。
その考えは今も昔も不動。
だからこそ、子育てにずっとその感覚を折り込んできた。
子供たちそれぞれの、その頭角が見え始めると、少しだけホッとする気持ちもある。
本人にあった高校に出会えて、高学歴の大学に進学する道を選ぶよりも、よっぽど将来の本人のためになる。
出口の見えないトンネルの出口が見えた瞬間でもあるかもしれない。