長い短いはあるだろうけれど、
平等に、終わりがあるから、始まりがあり、
始まりがあるから、終わがある。
それは誰しも避ける事が出来ず、生きている限り、何かしら次のステップに進むときには、何かを終わらせる必要が出てくるものでもある。
私はそれを研修といい、終了した場合は、そこからの巣立ちで卒業したのだと考えている。
不思議なのは、どんなに流れに逆らっても、避けて通れない道があり、それは、意志に反して必ず通らないとならないものでもある。
そう気が付いたとき、時間の流れは誰にも止められないのだから、運命という流れに逆らう無駄な労力をつかうことをやめ、流れに流されるように生きることにした。
小舟は、川に流れて、やがて大海にでる。
出発地点は浅瀬だし、小舟でも問題ないけれど、海に出るには大きな船に乗り換える必要があり、また大きな船を買えるほどの財産が必要。
今乗り込んでいる私の船は、海に出られるだけの頑丈さや財産が積み込まれているのだろうか?
加速している私の時の流れに、自分自身が気後れして、どの道を選択しても同じにもかかわらず、いろんな面で躊躇してしまう。