ソーシャルスキルトレーニングを行うとき、
自分も含めて、人は「自分が探しているものしか見つけられない生き物」なんだと常々感じる。
それは、言葉に出してみると、
日頃の自分が欲しいと思っている「欲求」や「希望」など、
“自分がこうしたい”という気持ちや意識が傾いているものに対してのみ、心を開いているからなのかもしれない。
きっかけは簡単。
自分が強く要望しているものだったり、
連続して、同じ指摘や自分が失敗と感じたことが複数回続くこと
自分の目的を達成する事が使命になるので意識する。
そして、得たいことに対して、全てと言っていいほど探しているものが偏ってしまう。
だから、思考が偏ってしまう。
これは、悪い事でも何でもなく、当たり前の事。
トレーニングには老若男女を問わず、職業や職種も問わず、同じ話題を共有し、感じたままの気持ちを伝え、情報交換の時間をたくさんとることがすごく大切。
再就職支援では、老若男女問わない異業種の集団。
共通の目標は、就職すること。
こういったところでの、ソーシャルスキルトレーニングは、私も含めて、同じ時間を共有した全員に得るものが多い。
例えば、
年齢が低い人は、親や上司の気持ちが理解できる
年齢が高い人は、今世代の気持ちに困惑し、自分の考えを教え始める
中間の年代の人は、世代間の中立の立場。どちらの意見も良くわかる人だと、何とか円滑になる方法を探り行動を起こす。
だからこそ、世代の中間の人たちは板挟みになり、上の意見が強ければ強いほど、また下が弱ければ弱いほど、自分の力量のなさに自己嫌悪したり、一度言ったんだから後は知らないと反抗的になったり、もっと自分が活躍できる場所を探して退職したくなるんだろうなぁと、組織の仕組みを垣間見ることができる。
さて、話を戻すけれど、だからこそ再就職支援のトレーニングでは、五感をつかって気が付くことで、自分が探していたものが見つかり、心から理解できることで、心にすとんと落ちる。
これが、腑に落ちるという体験
その瞬間、気持ちが吹っ切れて、すがすがしい気分になれる人が多いのかもしれない。
こういう経験をした人は、全身全霊を使って「腑に落ちる」という言葉の本当の意味を知る。
その心を開いているところに向かって、そのきっかけを作り、その人の固定観念や先入観が解き放たれるお手伝いをすることが私のお仕事
どうあがいても、人は必ず思考が偏り、欲しいと望み探しているものしか見つけられない。
デザインをしていたころ、良い色合いはないかなぁ~と思って見るから、毎日通り過ぎていく道で、ふっと見つかるように、自分が欲しいと強く願い意識しなければ、自分が欲しいと願うものは何一つ手に入らないし、気付かず通り過ぎさってしまう。
これが、チャンスを逃すということ。
でも、気が付かなければ、チャンスを逃したことさえ本人はわからない。
皆さんは、どちらが幸せだと思いますか?