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これまで30年以上にわたり、
2万人を超える人財育成を通じて、業務改善と組織変革に取り組んできました。
業績向上、個性を生かした人間関係構築、再販顧客につながる対応力強化のご提案をいたします。

群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)

業務改善&組織変革
Chi-ho's studio(チホズ スタジオ)
産業カウンセラーの鎌田千穂です。

ここのところ、たくさん考えさせられる機会を得ています。

コロナ禍だからと言うわけではありません。
尊敬する方から、どちらの才能のことを言っているのかわからなかったのですが、「君は奇才or鬼才の持ち主、でも見ている世界が狭い」とおっしゃいました。
 
世界が狭いという事はわかっていても、どれくらい狭いのか私にはまったく見当がつきません。
しかし、その場でえ?っという間にパンパンと話が決まって行くスピード感、世界の広さを目の当たりにしただけでなく、あまりにも広すぎて笑えました。
 
見ている世界がこうも違うと、自分の世界はちっぽけだなぁと思えて、その悩みもどうでもよくなるものです。
そして不思議なのは、その世界を見せてもらえただけで、ワクワクとして心の底から楽しくなるのです。
 
群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)
 
数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う話をインドの寓話を講演会でよく話されます。
 
内容は、
目が見えない盲目の人間が数名集められ、その人たち全員に象を触ってもらいます。
全員目が見えないので、象という動物が何かわかりません。
そこで、触った感触から象という動物がどのようなものか、感想を述べてもらいます。
 

象に触れた盲目の人々は、象の体のすべてを触ることなく、それぞれの触った感触から感想を述べます。
足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。
尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。
鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。
耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。
腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。
牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。

みな同じ1頭の象についての感想なのに、内容はみなバラバラ。

盲目の人々はみな、象とはこのようなものであると、自分の感想こそが正しいと主張します。
確かに自分の触った部位の形状や特徴を的確に表現していたので間違いではありません。
しかし、それらの感想はすべて象の一部についての感想であって、象そのものの感想ではないという事です。

象という全体を知らないがために、一部分のみを触ってそれがすべてだと思い込んでしまい、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。
それを聞いた王は「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」と答え、それが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消するというお話です。

この話の教訓は、「物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう」ことへの悟しであり、同じ真実でも表現が異なる場合もあるし、異なる信念を持つ者たちが互いを尊重して共存するための原則を示しているモノでもあります。

そんな、「視野の狭い者は、手の感触で物を知ろうとしているに等しい。手の感触では物事の全体は分からない。各々がロウソクを持っていれば、認識の違いは無くなる」ということを自分で掴み取り、掴んだ何かを実践することの大きな楽しさが身に染みているところです。


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